堺の小さな工場が
鋳造で社会を支える会社になるまで
Episode
♯語り手
代表取締役 柳本 喜満(やなぎもと よしみつ)
製造部 生産管理課 武田 源太(たけだ げんた)
金属を溶かして液体にした後、型に流し込み冷やすことで様々な形状に固める加工法を鋳造(ちゅうぞう)という。創業時から四代に渡り、鋳造技術によって社会のインフラに不可欠な製品を世に送り続けてきた株式会社ヤナギモト(以下、ヤナギモト)。ものづくりに新たな価値を吹き込んできたヤナギモトの歴史と、今後の展望に迫る。
業界は担い手不足、それでも進化を続ける
鋳造業界は、他の製造業と同じく国内での担い手が少なくなっている。これまでは海外からの技能実習生が日本に来て働くことも多かったが、中国やインドなど海外でも日本と同じレベルの製造ができる環境が整ってきたという。加えて、昨今の円安の影響もあってわざわざ日本に来て働く人は少なくなった。高温の環境での作業が求められる鋳造の仕事は、「3K(きつい・汚い・危険)」と呼ばれることもあり、ただでさえ担い手を見つけるのは簡単ではない。
そんな業界であるにも関わらず、ヤナギモトの現場には活気がある。工場には80人を超える従業員が働いており、若手の作業員も多い。彼らが特に力を入れて作っているのは「3Dインペラ」と呼ばれる製品。インペラとは、ポンプで液体を吸い上げたり送ったりするために必要な部品の一つだ。羽根車で液体を回転させることで遠心力を与え、ポンプ内部の液体を自在に動かす。
この3Dインペラは、長い時間をかけて職人たちの技術によって築き上げられた、ヤナギモトの看板製品だ。複雑な形状の3Dインペラは、多くの専門家が高い関心を持つほど競争力の高い製品として評価され、同業者でも「こんなの作れない」と諦めてしまうほど。ここまでくると、もはや作品に近いのかもしれない。これらは年間2万点以上が日本の主要ポンプメーカーで使用されており、私たちの生活を目に見えないところで支える社会インフラに不可欠な製品だ。
会社を変えたのは、地道な挑戦の積み重ね
ヤナギモトは「柳本合金鋳造所」として、柳本社長のお爺さんにあたる柳本喜晴さんによって創業された。当時は、大阪府堺市に拠点を構えていたという。戦後、日本でポンプを製造する大手企業との人脈があったことがきっかけとなり、ブロンズ(銅)の鋳造を開始。10人に満たない規模でスタートしたヤナギモトでは、朝早くから鋳込み(いこみ)の作業を行い、当時は日中はお酒を飲みながら製造を行うなんて日もしばしば。時代の変化に伴って、工場の音や匂い、煙などに対する近隣からクレームが入ることもあり、工場の玄関を締め切って作業していた時期もあった。「天井が低くて室内が暗い工場の中で、仕事があればそれでいいと思って働いていた時代です。決して革新的な会社ではなかったですね」と、柳本社長は当時を振り返る。
その後、2006年に現本社のある大阪府高石市に移転。大手企業との取引も増え始めた当時、「これからは鋳造だけでなく、製品の加工まで担える企業になることが必要ではないか?」と、柳本社長のもとに機械商社で働く友人から声がかかった。半信半疑で金属の加工機械を導入した結果、その投資が会社の事業の幅を広げることになり、仕事だけでなく社員も増えるきっかけの一つになった。
他にも、ヤナギモトにはある大きな転機があった。それは、ポンプ業界ではブロンズ(青銅)を使用するのが主流である鋳造業界で、ステンレスの鋳造に着手したこと。ポンプの部品がブロンズからステンレスに代わりつつあったなかで、ヤナギモトではステンレス用の鋳造炉を導入。当時、会社の規模も大きくない中での投資は大きな冒険だったという。しかし、この投資が転機となりステンレス鋳造の仕事が増加し、今では仕事の8割以上を占めるまでになった。
さらに、一般的に製品の重さが価格を決める鋳物業界では、ヤナギモトが得意とするインペラのように、複雑な形状かつ内部に空洞ができるような製品はその分だけ重量が減って価格に影響するため、参入する業者が少ない。「他社が手を出さない領域にあえて取り組み続けてきたので、うちなら丁寧かつ品質の高い製品を作ることができます」と柳本社長はサラッと話すが、「言うは易く行うは難し」だ。他社が挑戦しない領域を開拓し、自社の強みにするまでには、私たちの想像を超えるような努力があったのだろう。
会社や国をこえて、その価値を伝えていくために
ヤナギモトには、「どんなに忙しくても、どんなに難しくても、声をかけてもらった仕事はすべて引き受ける」という、創業時から受け継がれてきた精神がある。これは、3Dインペラの製造難易度が高くヤナギモト以外の引き受け先がないという事情と、社会インフラの維持に携わる企業としての責任から、代々守り継がれてきた仕事への向き合い方だ。
「社会インフラに携わる若い担い手を発掘し、ヤナギモトの精神を継いでいきたい」と、柳本社長は未来を見据える。そんな大きなミッションを前に「ヤナギモトの会社の価値を、社外の人だけではなく、社内の現場で働いている人たちにも伝えていきたい」と、武田さんも言葉に熱が入る。別の鋳造会社で働いた経験もある武田さんは、さまざまな企業が参加する展示会で、ヤナギモトの3Dインペラが同業者から高い関心を集めていたことが印象的だったという。
2024年の秋には、本社の敷地内に新工場も完成予定だ。FactorISMに参加していた企業の見学からもさまざまな気づきを得られ、色々な構想が頭の中にあるという。中でも大きな構想の一つが、海外進出。過去に、ドイツで行われた海外展示会でもヤナギモトのインペラは高く評価されたことから、ドイツをはじめとするヨーロッパやアメリカなど、海外にも自社の製品を売り込んでいきたいという。「ついでに海外旅行もできると期待して」と、柳本社長と武田さんは笑いながら未来を語りあう。
社会インフラを支えるヤナギモトの挑戦は、今海の外にもその視線が注がれている。