守り抜いた伝統の味と、
変わりゆく社会のあいだで

旭食品

所在地 大阪府八尾市太子堂5-1-46
TEL 072-922-5357
ホームページ http://www.asahi-syokuhin.co.jp

代表取締役 高田 悦司

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Episode

♯語り手
代表取締役社長 高田 悦司(たかだ えつじ)
取締役専務 高田 雅規(たかだ まさのり)
工場長 高田 智至(たかだ とものり)

会社で代々受け継がれてきた伝統と、毎日変化していく社会のあいだで、どう折り合いをつけて事業を育てていくかはあらゆる会社が投げかけられている問いだ。「旭ポンズ」で有名な株式会社旭食品(以下、旭食品)も、そんな一つ。先代の味を守り抜いてきた父親と、その背中を追いかける2人の息子たちに、それぞれの想いを聞いた。

ポン酢にこだわり続けて76年

1948年に創業された旭食品は、悦司社長の父親の代から家族経営で営まれてきた食品メーカーだ。長男の雅規さんは専務として商品の営業や仕入れなどの業務を、三男の智至さんは工場長として製造の現場を担当している。

現在、「旭ポンズ」「うどんだしの素」「そばつゆの素」「旭ぶっかけポンズ」の4つの商品を製造しているが、やはり主役はポン酢。売上の8割以上を占めているということから、その人気ぶりが伺える。ポン酢の味は、先代の社長が自ら調味料の配合や味の研究を重ね、こだわり抜いて生まれたレシピが今も受け継がれている。ラベルにも描かれている柑橘のさっぱりとした味わいが特徴で、夏の暑い日のサラダにも、冬の寒い日のお鍋にもピッタリな商品だ。

味へのこだわりは、素材から始まる。出汁には、北海道の利尻から取り寄せた昆布のほか、国産にこだわった混合節や乾椎茸を使用。ポン酢の味の決め手となるスダチやゆずなどの柑橘類は、付き合いの長い、信頼する徳島の生産者から仕入れている。工場では、大きな釜のなかに水を張って出汁をとる。そこに柑橘果汁やそのほかの調味料を混ぜ合わせ、それぞれの商品を全て1つの製造ラインで作っている。瓶を運んだり洗ったりする工程には機械を導入したものの、味を作る工程は今も人の手で行っているところに、旭食品の味を大切にしていることがわかる。

2020年には工場を新しい場所に移転したが、その際に創業から受け継ぐ味の再現度をより高めるために、調理工程を数値化したという。

「出汁をとるための水の量や昆布を煮出す時間など、2年ほどかけてデータを取りました。お客さんからも『ずっと変わらん味やね』という声をいただいています。天然の素材を使っているので、どうしても多少のばらつきは出てしまうのですが、製造へのこだわりは変わりません」と、雅規さんは語る。

天然の素材を扱う以上、データでできることには限界がある。その隙間に、作り手たちの研ぎ澄まされた感覚や長年の経験を織り交ぜることで、旭食品の味は受け継がれてきた。

「器用な会社じゃないので」

70年以上に渡って伝統の味を守り続けてきた旭食品に、今大きな壁が立ちはだかっている。それは、天然素材の調達が難しくなってきていること。特に、スダチやゆずなどの柑橘類が問題だそう。温暖化の影響に加えて、雨量のバラつきや台風の被害など、柑橘類の収穫は気候の影響を受けやすい。そこに、農家さんの高齢化による担い手不足という問題が追い討ちをかける。過去にも果汁の仕入れが足りない時代が何度かあったものの、農業の担い手は今よりも多かった。そのため、果汁の仕入れ先を増やすことで当時は対処できたという。

それでも、彼らは産地へのこだわりを捨てない。

「産地あっての旭ポンズなので、仕入れ先をころころ変えるようなことはしません。それに、仕入れ先を変えると、それまで仕入れを担ってくれていた産地の方が売り先を失って困ってしまうこともある。国産に限って仕入れ先を広げることは常に検討していますが、長いお付き合いのある産地の方とはこれからも一緒に歩んでいきたいんです。ポン酢一本で勝負してきた僕たちはそんなに器用な会社じゃない。あれこれと新しいことに手を出すことはせず、今は軸足を立て直す時期です」と、雅規さん。

産地と一緒に歩んでいく決意は固いようだ。

最近は産地まで足を運び、農家さんと一緒に対応策について話し合うこともあるという。智至さんは、「たくさん収穫できた次の年はあまり獲れなくなるなど、年によって収穫量にばらつきが出ることがあります。肥料をうまく使って収穫量をできるだけ均一にできないかと、そんな相談もしています」と話す。社会の変化に対応しながらも、先代や社長が大切にしてきた味や産地との関係性をこれからも発展させていく。雅規さんと智至さんの表情には、そんな信念が宿る。

父親の大きな背中を追いかけて

悦司社長が製造に関わっていた当時は、今よりもずっと少ない10人ほどのスタッフで、早朝から夜遅くまで忙しく働いていたという。

「瓶を洗う機械を導入して一日の製造量が増えたので、繁忙期は営業日の前の夜から仕込みをしていました。当時は工場の裏に家があったので、通勤時間もないからね」

そう話す悦司社長の表情や話しぶりからは、当時たくさんあったであろう苦労を全く感じさせない。

そんな社長のもとで育ってきた雅規さんと智至さんの記憶には、幼少期の父親の背中が色濃く残っていた。

「12月のポン酢の繁忙期、日曜日の夜10時から翌日の朝5時までずっと仕込みをしていた父の姿を今も覚えています。父は、社長でありながら誰よりも製造現場に立っていました。命を削って働く背中を見てきたので、僕も頑張らなきゃって思います」

そんな雅規さんの言葉に、智至さんも続く。

「社長がまだ製造現場に入っていた頃は、毎朝パートさんが来られると一人ひとりのところに行って挨拶をしていました。当たり前のようでいて、それを毎日続けられるってすごいことだと思います」

一つひとつ、噛み締めるようにして話す雅規さんと智至さんの言葉を聞いた悦司社長は「恥ずかしいわぁ」と、少し照れている様子。真面目に仕事に向き合う傍ら、苦労話は笑い話に変えてしまう懐の深さをもつ悦司社長の人柄が垣間見えた。

いつの日か、父であり社長である悦司さんからバトンを受け取るその日に向かって、雅規さんと智至さんは父親の大きな背中を追いかける。変わりゆく時代の流れと折り合いをつけながら、旭食品は伝統の味にこれからも向き合い続けていくだろう。

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