伝統の和菓子が
エンターテインメントになる日を夢見て
Episode
♯語り手
専務取締役 岡本 將嗣(おかもと まさつぐ)
製造部 部長 岡野 幸治(おかの こうじ)
株式会社福壽堂秀信(以下、福壽堂秀信)は、餡(あん)を炊き続けて75年以上、自家製餡にこだわる和菓子屋だ。歌舞伎や文楽などの伝統芸能が盛んな街であった大阪・宗右衛門町で創業し、高級料亭に上生菓子を販売する事業をスタート。今では大切な方への贈答ギフトやお土産で大人気な百貨店ブランドにまで成長した福壽堂秀信のルーツを探る。
餡は、和菓子の生命線
おいしい和菓子には、おいしい餡が欠かせない。福壽堂秀信では長年培ってきた職人が、自慢の技で3日間じっくり時間をかけて餡を炊き上げる。一方で、最近では製造にかかる時間や労力を削減するために、自社で餡を作らない和菓子屋さんも増えてきているという。餡は和菓子の生命線とも言えるからこそ、福壽堂秀信は自分たちで餡を作ることにこだわり、時代の変化にあわせた和菓子作りを追い求め続けている。
餡と一言でいっても、最高級の生菓子である上生菓子をはじめ、粒あんやこし餡、和洋折衷のゼリーや羊羹に使用される餡など、さまざまな種類や用途がある。餡を作り続けて75年以上の福壽堂秀信では、長年の経験と培ってきた技術によって、炊き方や味付けの組み合わせを変えながら、それぞれの和菓子に合う餡を作る。これは、他社に簡単には真似できない福壽堂秀信ならではの技だ。
その上、餡作りは季節や天候にも左右される。職人は五感を働かせ、水加減や炊き方を調整していく必要がある。高校を卒業してから30年以上に渡って福壽堂秀信の餡を作っている岡野製造部長は、「機械化が進むにつれて、作業効率や生産性が向上していますが、数値化できない職人ならではの手の感覚も欠かせません。そこに、餡作りの奥深さがあるんです」という。
機械もなかった時代から餡作りに熱中し、その技を鍛錬し続けてきた岡野製造部長と、次世代の経営者である岡本専務が、今まさに世代交代に向けて歩みを進めている。伝統をつなぎ、新たな挑戦が生まれる企業文化を育てようとしているのだ。
会社の未来を、餡作りとチーム作りから支える
1948年に大阪の宗右衛門町で創業した福壽堂秀信は、商品への信頼や認知もないなか、創業者の誠実な営業活動が実を結び、京都御所の宮内庁に和菓子を献上するところまでたどり着いたという。その後も関係性ができた取引先と意見を交換しながら成長し、事業が拡大していく中で、福壽堂秀信は帝塚山に工場と販売の機能を持った建物を建設した。帝塚山は高級住宅が多く集まる街。たまたま百貨店のバイヤーの目に止まったことをきっかけに、今ではブランドとしての信頼を勝ち取ることができた。
そんな話を聞くと順風満帆な経営に聞こえるが、「バブル崩壊後は大変だったと聞きます」と、岡本専務。不景気な時代に突入する中、料亭からの注文や売上の柱であった婚礼ギフトとしての注文が減少し、洋菓子の台頭も相まってお客さんのニーズが変化。主な取引先であった百貨店からの要望に苦労しながらも応えていく中で、会社はまた一歩成長したという。
情熱的でエネルギッシュな企業文化を創業者から受け継いだ岡野製造部長をはじめ、当時の営業本部長が商品開発に力を入れたり、事業計画を練りに練り直したりしたことで、そんな大変な時期を乗り越えた。福壽堂秀信の人気商品である一口羊羹シリーズの一つ「季乃實栗(ときのみのりくり)」はその時に生まれ、会社を立て直すために一役買ったという。
会社の苦しい時代も楽しい時代も知る岡野製造部長と岡本専務は、次の世代に伝統の味と想いをつなぐため、それぞれの立場から企業文化作りに取り組む。岡本専務は、若い社員がワクワクしながら新しいことに挑戦できる環境作りを通じて、個人とチームの両方が学び続ける組織作りに取り組む。
その一方で、岡野製造部長は餡の味を繋いでいくために「基本のキ」を伝えることを大切にする。一つひとつの工程をマスターしたその先に、商品開発など色んなことに興味を持ち、働く目標を作ってほしいと願っているという。「現会長に言われた『餡だけはちゃんとせい』という言葉は今も胸に刻んでいます」と、岡野製造部長。基本を守りながら未来に福壽堂秀信の味を繋ぐため、二人は役割こそ違えど、そこにかける想いは一つだ。
和菓子作りをエンターテインメントに
創業76年の福壽堂秀信は、今どんな未来を描いているのだろうか。伺ってみると「和菓子をエンターテインメントにしたい」と、岡本専務は語る。一体どういうことなのだろうか。
「宗右衛門町には年々海外からの観光客も増えていて、時代とともに地域が変化しています。お中元やお歳暮など、ギフトとして和菓子を買っていただく文化ももちろん大切にしたいですが、普段は食べられない出来立ての和菓子を食べてもらったり、職人が和菓子を作る様子をパフォーマンスとして届けたりするなど、今後は和菓子をエンターテインメントのように楽しめる体験も届けたいんです」
そう話す岡本専務の目線の先に描かれていたのは、和菓子を起点に宗右衛門町がエンターテインメントの街になった未来であった。
もちろん、和菓子作りの面白さを消費者に伝えることだけが目指すべき姿ではない。食品を加工する福壽堂秀信にとって、小豆をはじめとする自然素材を提供してくれる生産者も大事な存在だ。岡本専務と岡野製造部長は生産現場に実際に足を運び、農業体験をする活動も積極的に行っている。
「小豆の苗を先日200本ほど植えてきたんですけど、もう本当に暑くて過酷で。農家さんってこんなに大変なんだと感じました」と、岡本専務はその時のことを振り返る。生産者の苦労や丁寧な仕事ぶりを肌身で実感しているからこそ、和菓子作りを支えてくれている農家さんへの感謝も忘れないのだ。
社会の変化にあわせて柔軟な発想で和菓子を届ける一方で、伝統や基本のキにはあくまで忠実に。そんな姿勢の中に、和菓子の基本であり生命線となる餡作りにこだわり続けてきた福壽堂秀信の心意気を垣間見た。和菓子をきっかけに、宗右衛門町のまちがエンターテインメントの街になる未来は、そう遠くないのかもしれない。